少し前 / 月璃(白竜)、黒竜、金烏(千鴉)
一仕事終えて彼は自分の住処に戻ってきた。
その奥まった場所は彼の他に人の気配は無い。
いつも此処に留まっているのではなく偶に思い出したようにしか帰って来ないが、彼の居ない間も手入れはきちんとされており、決して過ごし難い場所ではない。
普段は身体を休める為というのが主な目的だったが、今回彼が此処に戻って来たのは別の理由がある。
人心地つく間もなく、外部が騒がしくなった。
この場所では滅多に感じることの無い空気。だが彼はそれを不快に思ったりしない。
事前に予測していた事であるし、それこそが今回の彼の目的だったからだ。
騒ぎの元凶は程無くして彼の許を訪れた。
自分の領域に此れ程遠慮も無しに踏み込んでくる相手を、彼は一人しか知らない。
「―――黒竜!!」
扉をぶち壊さんばかりの勢いで入って来た人物は案の定烈火の如く怒っていた。
相手のそういう反応は予め予想出来ていた事だが、それでも彼は長い付き合いの中こういった激情を目にするのは初めての事で、内心密かに楽しんでもいた。
「何考えてんだよお前、一体どういうつもりだ?あんなことしてくれなんて、僕がいつ頼んだよ!」
それは噛み付かんばかりの勢いで彼に詰め寄る。
「久し振りに再会した兄弟に対して頭から怒鳴り付けることは無いだろう、白竜?」
くすくす笑いながらそう答える。
それでも尚憤りを隠さないでいるこの相手は、彼の半身とも呼べる存在だった。
それにしても、と彼は思う。
少し見ないだけで随分とまあ変貌を遂げたものだ。以前の白竜はこんな風に感情を表すことは滅多に無かった。
情が無い訳では無論ない。外界と接する機会が殆ど無く刺激を受けることも極端に少なかった為、生まれて何千年もの間それはまるで無垢な赤子のようだった。
無垢ゆえに吸収も速いのだろう、人界に降りていた僅か十五年程の間にこうまで変わっているとは。
だが彼はその本質が何ら変わり無いことを知っている。
彼にしてみれば非常に危うげで、とても目を離してはいられない。
「こんな風に干渉してくるなんていくらお前でも許さない。
"月璃"には白竜も黒竜も要らないんだよ、少なくとも月璃が生きている間は。僕がこんな所でお前に会う必要なんて何処にも無いだろ!?」
今、白竜は人間として生きている。
月璃という名の人の殻に包まれた白竜の意識は、普段余程の事が無い限り表に出てこない。
今回のように無理矢理目覚めさせたりしない限りは。
それは当の本人が望んでいる事であり、だから今、白竜がこれほど憤慨しているのも至極当然のことだった。
黒竜と白竜、両者の間で純粋な力の差というものは歴然としている。
彼がその気になれば、赤子程の力しか持たない白竜など抑えつけるのは簡単だった。
しかし彼自身そういった気を起こそうなどとは微塵も考えていない。
飽くまでも両者は対等、いや彼にしてみれば白竜の方が上、でさえあった。
ゆえに白竜が望まないことは彼はするつもりはない。
だが今回ばかりは事情が事情だった。
「先頃お前の所に金烏が行かなかったか?」
「……ああ、来たけど。それが何?」
「あいつも心配性でね、一寸でも気に懸かることがあると直ぐに俺に報告に来る。健気なもんじゃないか」
金烏のそういうところを、彼は嫌いではない。向こうが此方をどう思っているかは知らないが。
「まあそれだけなら気にも留めなかったんだが……先日杏朔も似たような事を言って来てね」
その名を出した途端白竜はあからさまに眉間に皺を寄せたが、それには気付かない振りをして先を続けた。
「あのネエサンが俺の所に何か言ってくるなんざ余程の事かと思ったが……案の定だったな」
一呼吸置いて白竜を見据える。
「お前の竜珠、翳りが出てきてるらしい」
流石に事の重大さに気付いたのだろう、白竜は一瞬息を飲んだ。
彼ら二頭の竜は、それぞれ一つずつ宝珠を持ってこの世に生まれ出た。
竜珠と呼ばれるそれは彼らの力の源であり、また命そのものでもある。
故あって今、白竜の竜珠は本人の手許には無いのだが。
黒竜の竜珠は黒銀、そして白竜のそれは白金の輝きを持ち、その稀に見る至高の宝玉はどのような宝にも劣らない美しさを持つ。
だが今白竜の竜珠にはその輝きを損なう黒い翳りが見えていた。
今はまだ大きな影響は出ない程のものだが、放っておけばいずれ―――
「このままだとお前、近いうちに死ぬぞ」
「……」
「判っていると思うが、この場合の死ってのは人の身の終わりだけじゃない。白竜そのものの消滅だ」
後には何も残らない。
こうなった要因の一つには、長期間下界に居過ぎた為ということもあるだろう。
いくら人間の肉体という殻に護られていようとも、白竜には人界の気は強過ぎる。
十五年も留まっていれば綻びが出てきてもおかしくはない。
だが恐らく、今回の原因はそれだけではなかった。
「―――とまあそういう事なんで。お前暫く此処で大人しくしてる事。
少なくとも竜珠が元に戻るまでは下に降りること禁止、ね」
にっこり笑ってそう言い放つ。
白竜にしてみれば酷な状況ではあろうが、彼にも譲れない一線が有った。
「……それって、いつまでさ?」
「さてね、そりゃお前次第だろ。
数日で済むかもしれないが、数ヶ月……下手したら数年掛かるかもな」
「な……!そんな長い事放置してたら下の僕はどうなっちゃうんだよ!?」
「―――少しの間ならそう問題は無いさ。
早いとこ戻りたいって思うんなら、とっとと綺麗な身になるこったね」
本音を言えば。
彼は"月璃"がどうなろうと知ったことではない。
黒竜にとって重要なのは白竜であり、月璃の生死には然程の関心を持ってはいなかった。
しばし拗ねた子供のような顔をして押し黙っていた白竜は、不意にその身を翻して部屋から出て行こうとした。
「何処へ行くんだ?」
「散歩!」
投げ遣りのようにそう言い、白竜は彼を睨み付ける。
「どうせ此処でだらだらしてたって何も変わりゃしないんだろ、気ぃ紛らわせて来る」
嵐のように白い生き物が立ち去った後、彼もまたゆっくりと表に出る。
見ると白竜はその本来の姿―――眩いばかりに白くその身を輝かせる一頭の竜となって、雲海目指し翔び立っていくところだった。
成長したものだ、と黒竜は思う。
彼の手を借りねば、白竜はまともに人化すらも出来なかった。
人間として生きることで多少の器用さを身に付けたのならば、この十五年も全くの無駄ではなかったということか。
だがしかし、白竜のこれらの変化が果たして良いものか否か―――
その判断は未だつけかねていた。
続きます。
Copyright (C) 2020 kohituji. All Rights Reserved.