フェリード/赤白 > crimson phantom 8 「赤い真実」
-- Update :2001-09-13 --
少し前 / シエル、BJ
朝からどんよりとした天気が続いている。今日は一度も陽が差していない。
嵐になるかもしれない。
そう考えて、シエルは不安な気分になる。

予定では今日の深夜、レンカ達は帰ってくるはずだ。彼らの居ない5日間、この日をずっと待ち続けていた。
(……無事に帰って来れるのかしら……)
これ以上待ち続けることになったら、きっと苦しくて仕方がないだろう。
望みは薄いにしても、天気が回復してくれるのを祈らずにはいられなかった。

部屋に戻ったシエルは、僅かに違和感を感じた。
なんだか妙にすっきりしている気がする。
「へへー。キレイになったでしょ?あらかた片付けちゃったからねー」
言われてみれば、アニタの物はほとんど見あたらなくなっている。
シエルの私物はごくごく僅かなので、誰も住んでいない部屋といっても差し支えがないくらいだ。

「あの子達帰ってきたら、あたしここを発とうと思って。もうここでの用も終わったしね。
 あ、心配しなくても引き続きこの部屋は使えるように手配しといたから」
そういえば、彼女にはもうここにとどまる理由はないのだ。
長いようで短かった共同生活も、これで終わりということか。
シエルはちょっとしんみりした気分になる。

「いやねー、そんな顔しないでよ。ホラ、あなたも一杯どう?」
「え……?これ、お酒……?」
見ると瓶はもう半分以上空けられている。結構飲んでいるらしかった。
「これね、ちょっとイイ代物なのよ。
 仕事に区切りがついたらこうやっていいお酒飲むことにしてるの。ホラ、自分を誉めてあげたいじゃない。
 ……どうしたの?遠慮しなくっていいのよ?」
「いえ、私、あんまり飲めないから……」
「そう?勿体ないわね」
シエルは酒に弱い。少し飲んだだけですぐに記憶が無くなってしまう。
その間自分が何をしているか考えると怖ろしいので、極力飲まないようにしている。

「あら、降ってきたみたい」
見ると窓の外で小雨がぱらついてきた。シエルの願いは天に届かなかったらしい。
アニタは窓を閉めようとして立ち上がり、ふらついた。
どうやらかなり酔いが回っているようだ。

「だ、大丈夫ですか……?」
「……やだー、切っちゃった」
体を支えようとテーブルに手をついたはずみに、グラスが割れて手を切ったらしい。
シエルは慌てて救急箱を探した。
思ったよりも傷は深いらしく、血がポタポタと落ちてテーブルの上に染みを作った。
アニタはそれを無表情に眺めている。
「……アニタさん?」

「―――赤って、キレイよねー……」

アニタはシエルから救急箱を受け取り、自ら手当をしながらぽつりと呟いた。
「キレイだけど……大っ嫌い。嫌なことばっかり思い出すわ……」
そして懐かしそうに目を細める。
「あたし、姉さんのこと嫌いだった。大好きだったけど……凄く憎かったわ。
 だってあたしには無いものばっかり持ってるんだもの。力も、美貌も……」
自らの栗色の髪をいじりながら、アニタは続けた。

「姉さんの髪、凄く綺麗な赤だったわ。まるで血の色みたいな―――
 ……キリもね、姉さんによく似てたのよ。
 もっともあの子は……血のせいかしらね。目の色も同じような赤だったけど」



いつのまにか外は土砂降りになっていた。
閉め損なった窓からは、風と雨が部屋に吹き込んでいる。
「―――キリ、は……」
口の中が乾いていて、うまく言葉が出てこない。
「……キリは、死んだんでしょう?8つの時に……」

「ええ、そうね―――」
アニタは壁際に歩み寄り、窓を閉めた。たちまちのうちに部屋の中は静かになる。
「研究所はキリを消そうとしたわ。
 だけどね、彼の力は強大すぎたの。抹殺はおろか、傷を付けることすらままならなかったわ。
 なにしろ端から回復していくんだもの。凄い自己治癒能力でしょ?」

頭の中で警鐘が鳴り響く。それ以上聞いては駄目だと。
だがシエルには、その場から立ち去ることも、耳をふさぐこともできなかった。

「だけどそのままにして置くわけにもいかないしね。
 要は彼を暴れられないようにすればいい。彼らはそう考えた。
 ……そうして、キリの精神は破壊されたのよ」

静かに語る、彼女の顔にはどんな表情も浮かんではいない。
目の前にいるこの女は、一体誰なのだろう―――。

「もっともそれだけじゃ駄目。だってまだ、キリの身体は生きてるんだもの。
 放っておけばいつかは暴走してしまう。それを抑えるものが必要だったのよ。
 つまり、無害で従順な、もう一つの人格がね」


―――雷鳴が鳴り響いている。
だがそれが窓の外で鳴っているのか、それとも自分の頭の中のものなのか、シエルには区別が出来ていない。

「……4年かかったけど、封印はなんとか成功。
 彼は驚くほど大人しくなったわ。力の発現も全く見られなかったしね。
 それがキリ12歳の時―――いえ、もうキリではないわね」

女はシエルの方に向き直ると、何も言えない彼女を見て可笑しそうに笑った。
「ねえ、あなた何も気付かなかった?
 キリの話を聞いて、何も感じなかったの?
 あなたもあたしと同じ物を見ている筈よ?……2年前に、ね」

「―――嘘よっ!」
蘇る悪夢。炎と血。
頭に浮かんだそれらを振り切るように、シエルは叫んだ。
「そんなの、信じないわ!……だってレンカ、言ったもの。昔のこと、憶えてるって……」
かつて少年は、自らの思い出を話してくれた。少しだけ照れたように。
それは決して嘘や偽りではなかった筈だ。

「あなた、もう少しお利口さんだと思ってたけど……」
女は僅かに眉根を寄せた。
「そんなものはね、いくらでも植え付けることができるの。
 ……そうね、どうせならお金持ちのお坊ちゃんの方が良かったかしら?」


「―――ねえ、分かってる?
 あなたが恋したのはただの擬似人格。本当はレンカなんて人間、存在しないのよ。
 最初から、何処にもね」



「どうしてあなたにこんな話をするか、判るかしら?」

女の声が遠くから響く。シエルは何も反応できない。
相手の方も問いかけてはいるものの、もとより答えは期待していない。

「全ては順調だったわ。もっとも所詮は擬似人格。もってせいぜい5年がいいところだけどね。
 まあ、それだけの期間が有れば、キリを完全に消すだけの技術が見つかる。そう考えたんでしょうね」

―――5年―――?

「ところがあなたが現われた。
 とんだ誤算だったわ。まさか擬似人格が一人前に恋をする、なんてね。
 彼の中のあなたへの想いは、やがて眠っていたキリの精神と同調した。
 不思議な話だけど、その2つはとてもよく似通っていたのよ。
 それでどうなったかは、あなたもご存知の通り。
 ……キリは目覚めたわ。完全に、とはいかなかったけれど」

火事の日の少年を思い出す。あの時確かに、彼は別人だった。
だが、最後に彼女の命を救ったのは、紛れもなくレンカだったと、シエルは信じている。

「興味深い話よね。彼を変貌させたのは、あなたへの恋心よ?
 だけどキリを止めたのも、同じ心……だなんてね」

脳裏に浮かぶのは陽の当たる場所。眩しいほどの笑顔で駆け回る少年の姿。
あれ程までに「命」を感じさせる存在を、シエルは他に知らない。

「その後あなたに関する記憶を消して、再び泳がせた。手許に置くのは危険だからね。
 ……本当はあの人格から全部消してしまいたかったんだけど、『レンカ』とキリの精神は一部融合しちゃってたのよ。
 それ以上いじるのは、危険だった」

彼の表情、言葉、温もり―――それらが全て、作られたものだと……幻だったなどと、そんなこと信じられる筈がなかった。

「彼が持っていた銃、憶えてるかしら?
 アレはね、キリの力を発散させるための物なの。放っておくとまた暴走してしまうから。
 少しずつ外に出して、内に溜まらないようにってね。
 ……予想以上に上手く扱えてるみたいだったけど」

もうこれ以上、何も聞きたくない。
何も考えたくない。信じたくない。
……心が、壊れてしまいそうだ―――。



「―――それにしても、一体どういう運命の悪戯なんでしょうね。
 あなた達はまた出逢ってしまった」

テーブルに腰掛け、アニタはシエルを無感動に眺める。
少女は床にへたり込み、俯いているので顔が見えない。

「あなたの存在ってね、とても微妙なの。
 彼の変調、気付いているんでしょう?あなたが傍にいると彼、おかしくなっちゃうみたいなのよ。
 あなたを消せれば一番手っ取り早いんだけど……そんなことしたら彼、それこそどうなっちゃうか分かんないしね」

アニタはゆっくりとシエルに近づき、彼女の耳元で優しく囁いた。

「できれば穏便に済ませたいのよ。
 ねえ……彼の傍から、離れてくれないかしら―――」


「―――あのさあ……」
突然、第三者の声が部屋に響いた。
そこにいるはずのない少年の姿に、アニタの表情が一瞬こわばる。
「あんまり、ウチのお姫様イジメないでくれる?王子様怒っちゃうよ」

「……随分、早かったのね」
アニタは努めて平静を装う。BJの他に人の気配は感じられない。
「思ったよりスムーズにいったんでね。……そんな怯えなくても、あいつならまだだよ。野暮用があるってさ」

BJはシエルの方に目を向ける。
少女は彼が現われたときも、何の反応も示さなかった。

「……こいつにあんま妙なこと吹き込むなよ。
 あんたさあ、ずっと見てて分かんなかったわけ?
 離れるなんて器用な真似、こいつが出来ると本気で思ってんのか?」
「……分かってないのはどっちよ……」
アニタはBJを睨みつける。
「あんたに何が分かるって言うの……?
 あの時の恐怖、キリの恐ろしさ……。あんたは、何も知らないじゃない!
 ……あたしはもう、あんな化け物……二度と見たくないのよ!」

アニタの瞳の奥にあるのは、底知れぬ恐怖心。
彼女はずっと、狂気じみた世界で恐怖と闘っていたのだ。
そんな彼女に同情しないでもない。だが―――。

「そんなの、あんたの勝手だろ。こっちの知ったこっちゃねえや」
BJは敢えて冷たく突き放す。彼にとってアニタはあくまでも「他人」だった。
天秤にかけるまでもなく、選ぶのは最初から決まっている。

「あんたが何者かなんて知んねーけどな、こいつらの人生はこいつらのもんだ。
 好き勝手引っ掻き回すんじゃねーよ。
 そんな権利誰にもない。……何処の誰だろうとな」

「……判ったらとっとと消えろよ。二度と、こいつらの前に現われるな」



身体の震えが止まらない。
何かに縋っていないとバラバラになりそうで、伸ばされたBJの腕を指先が白くなる程強く掴む。

「―――少し落ちつけって。な? ……もうすぐあいつも帰ってくるんだから」

そんなこと言われても、落ち着いてなどいられる筈がなかった。
あんなに帰ってくるのが待ち遠しかったのに、今は逢うのが怖くて堪らない。
どんな顔をして逢えばいいか分からない。
彼の前で、普通にしていられる自信などない。


苦しくて痛くてたまらないのに、涙すら、出てこなかった―――。
白視点。暴露編。
9へ続きます。
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