少し前 / レンカ
夢の中で、誰かが自分を呼んでいる。
すぐ目の前にいるはずなのに、相手の事は明確には判らない。
(……畜生、またかよ……)
いつも同じ夢。以前は2、3ヶ月に一度くらいだったのに、ここ最近で頻繁になった。
失われた記憶の残骸が見せるその人物は、かろうじて少女らしいという事は分かる。
記憶の中の自分はきっとそれが誰だか認識しているのだろう。
だが、目覚めた時にはほとんど思い出せない。
「……サイアク…気分わりー……」
ここ数日というもの、目覚めはいつもこんな調子だった。
その夢がもたらすのは、自分でもよく分からない、曖昧でモヤモヤした感情。起きた後はなんだか疲れているので、いつも寝不足気味になる。
レンカには過去の記憶がない。2年ほど前だったか、気が付いたときにはここ、フェルドにいた。
それまで何をやっていたのか、自分がどういう素性なのか全く分からなかった。最初は覚えてないことすら分からなかったくらいだ。
名前を聞かれて初めて記憶がないことに気づいた。我ながら抜けている。
説明するのもなんだか面倒だったので、数日は偽名を使って過ごした。
その頃から見ていた例の夢で、相手が呼んでいる名前が自分の物らしいと気づき、初めて名前が判明したのだ。
記憶をなくした事は、はっきり言って余り気にして無い。
だが、忘れた頃に、その事を責め立てるかのように現れる夢には我慢がならない。
彼の苛立ちは日毎に膨れ上がるばかりだった。
鏡の前に立つ時は、いつも不快な気分になる。
嫌でも目に付く赤色、自らの髪と眼。彼はこの色が嫌いだった。血を連想させる、不吉な色。
そして、首に残る深い傷跡。
この傷が出来た時の状況など全く覚えていないが、よくもまあコレで死ななかったものだとつくづく不思議に思う。
その辺にある布切れで、いつものように傷を覆い隠す。どうしても目立つ場所なので、他人には気になって仕方ないらしい。
以前、そのことでちょっかいをかけてきた輩がいた。
当然その相手は半殺しにしてやったが、面倒事に巻き込まれるのも御免だったので、それからは隠すようにしている。
ふと窓の外を見ると、まだ夜が明けて間もないようだった。
こんな時間に目が覚めるのは珍しかった。なんだか日に日に睡眠時間が短くなっている気がする。
もう一度寝るなんてまっぴら御免だったし、一人で部屋にいると色々考えてさらに気分が悪くなること請け合いだったので、外に出ることにした。
今日は特に何も予定は入っていない。つい先日大きな仕事をしたばかりなので、まだまだ資金にも余裕がある。
しかし、今は金のためでなく、何か仕事がしたかった。
ひと暴れすれば、多少は発散できるかもしれない。
「なんかオモシレー事、ねえかなあ……」
通りは朝早いというのに、多くの人でごった返している。
雑踏、喧騒。そういった雰囲気が彼には心地よかった。
他人と戯れるのも嫌いではない。馬鹿やってるうちは何も考えなくて済む。
「あっ、レンカくんおはよー。どしたの?今日は早いじゃん」
一人の娘が声をかけてくる。今はなんだか相手をする気にはならなかったので、適当に返す。
「何ってお仕事に決まってんじゃん、こー見えても俺、忙しいのよ?」
「ふーんそっか、タイヘンなんだー。……また遊んでねー」
「おう、またな」
何故だか妙に元気に走り去っていく娘の後ろ姿を、無表情に眺める。
(……誰だっけ……)
なんとなく顔に見覚えはあるのだが、名前は全く覚えていない。
そもそも、彼の記憶力というものはほとんど当てにならない。
いずれにしろ、レンカにとって大した問題ではなかった。
深く関わり合うつもりはないし、その必要もない。薄っぺらな関係、それで十分なのだ。
午前だというのに日の当たらない、薄暗い一角。そんな通りに店はあった。
何故だかいつ来ても開いている、不思議な店だ。その割に繁盛している様子はない。
「いようオッサン。相変わらずシケた面してんなー。はははは客が一人もいねえ」
「ほざけクソガキ。何だ、こんな時間から来るなんて珍しいな」
「へっ誰かと同じ事言ってら。……あ、ホットチョコレート頂戴」
店主は顔をしかめた。この店でそんなものを頼むのは、レンカの他には誰もいない。
「……今日は何だ、仕事ならついこないだ世話してやったばっかだろ」
「んー……別に金にならなくてもイイんだけどさー……なんかこう、スカッとするような事知らねえ?」
残ったチョコレートをしつこくすくいながら聞いてみる。
情報を手に入れるには、ここの店主に聞くのが一番手っ取り早い。
「……お前、スラムって行った事あるか」
「いんや?」
「何があったかしらんが、死に急ぎたいならあそこに行ってみればいいさ」
店主はしばらく煙草をふかしていたが、他に客が来る気配もないので、やがて奥に引っ込んだ。
「…………スラム、ね……」
誰もいなくなった店内で、レンカは剣呑な光を赤い眼に浮かべる。
チョコレートは、もうない。
朝の太陽は眩しい。裏道から一歩出たところで、レンカは思わず顔をしかめた。
日の光なんて似合わない。大勢の中にいるのも悪くはないが、やはり自分には裏道の方が性に合っている気がする。
見上げた空の片隅に、白く目立たない月が見えた。
ふいに、夢の中の少女が頭をよぎる。そして益々苛立ちが募る。
(……うっとおしいんだよ)
浮かんだ影を振り切るように、彼は歩き出す。
その行く先には、スラムがあった。
赤視点。スラムへGO!
2へ続きます。
Copyright (C) 2020 kohituji. All Rights Reserved.