フェリード/赤白 > crimson phantom 3 「スラム」
-- Update :2001-07-08 --
少し前 / レンカ、BJ、シエル
スラムの2日目、日が暮れて間もない頃、レンカはとある裏通りを歩いていた。
ただし一人ではない。前を行くのは一人の少年。
もう何度目になるだろうか、彼は振り返って嫌そうに言った。
「あーもう……ついてくんなよお前。どっか行けよ」
「暇なんだ、付き合わせろ。どうせ一人じゃ心細いクセにさー。」
「あ?誰が心細いって?お前なんかとこれ以上関わるつもりはナイのですよ。はいこれでさよーなら」
「そういうこと言うワケ。宿代持ったのは俺だぞ?酔っ払ってヘベレケになってるびーちゃん引っ張ってくるのは大変だったよ」
「誰がびーちゃんだ!……そーいうレンぴょんこそ、全然ロレツ回ってなかったじゃねーか。全然宿に辿り着かなかったのはお前のせいだぞ」
延々、えんえんと下らない口論を続けている。
通りは暗く殺伐としていたが、彼らの居る場所だけやたらと騒がしかった。

彼の名はBJ。昨夜酒場で知り合った。
第一印象はお互い最悪で、会っていきなり大喧嘩をやらかしている。


スラムに着いた頃にはもう大分暗くなっていたので、とりあえず手頃な宿を確保して酒場に入った。
適当に料理を頼んで酒を飲む。本当はチョコレートが欲しかったが、置いてなさそうなので諦めた。
客はほとんど常連のようだ。おそらくスラムの住人だろう。
彼らは、明らかに余所者のレンカにちらちら視線を向けはするものの、特に何も仕掛けては来なかった。
(・・・なんだ、つまんねー)
憂さ晴らしにこんなところまで来たというのに、こういう時に限って何も起こらない。
だがまあとりあえず、今は腹が減っているので、目の前の料理を片付けることに専念した。

不意に、店の空気が変った。誰かが店に入ってきたようだ。
頭にバンダナを巻いた、レンカと同じくらいの歳の少年。
彼は空いている席を見つけ、そこに座る。

「ようBJ。いつ舞い戻ってきたんだ?お前」
客の一人が声を掛ける。男の言葉には少なからず悪意が感じられた。
バンダナは面倒臭そうに、適当にあしらう。
男は酒が入ってかなり饒舌になっているのだろう、無視されても気にせず、やたらと彼に絡んでいる。

別に聞くつもりもなかったが、すぐ傍の席なので彼らのやりとりは嫌でもレンカの耳に入ってきた。
BJと呼ばれたバンダナ少年は、もともとスラムの住人だったが、ここ一年程外に出ていたらしい。
久しぶりに古巣に戻ってきた、という所だろう。
そして彼は、ここの連中にはあまり快く思われていないようだ。
彼に絡んでいる男だけでなく、周りの他の連中の視線にも冷たい物が感じられた。

「そういや、ちっと小耳に挟んだんだがよ、お前のかーちゃん、元々ここの人間じゃなかったんだって?」
その言葉で、僅かに彼の表情が変わった。
「……だから何だよ」
反応があったことに調子づいて、男はさらに続ける。
「ここの若えのとデキて、けど結局は捨てられたって聞いたぜ?
 惨めなモンだよなあ、惚れた男に犯されて挙げ句にガキまで孕んじまってよ。それで自分は狂い死にってか?」
男は下卑た笑いをあげる。その次の瞬間、彼の身体は勢いよく吹っ飛んだ。

もの凄い騒音がして、一瞬店内のざわめきが止まる。
男を殴り飛ばした少年は、蒼ざめて肩で息をしていた。
男が吐いたその言葉はきっと、彼にとって一番触れられたくない傷だったのだろう。
過去の出来事を受け入れたくない。それらを全て、拒絶している。そんな目をしていた。

「―――おいそこのバンダナ」
最初に沈黙を破ったのは、近くにいたせいで最も被害を被ったレンカだった。
まだ半分も手をつけていない料理が全て床に散らばっている。
「どうしてくれんだよ、俺の晩飯。結構高かったんだぞ?大して美味くもない割に」
「ああ?なんだテメエ。部外者は引っ込んでろ」
「部外者?立派な被害者だよ俺は」

普段なら、この程度のことで突っかかったりはしない。適当に文句を言って、それで終わりだ。
だが今、彼の不機嫌は絶頂にあった。
何よりもバンダナ少年に対して、強烈な苛立ちを感じていた。

「さっきから聞いてると、お前すげえ馬鹿みたいだよ。くっだらねえことでムキになっちゃってさあ」
「………何だと?」
周囲の連中は予想外の展開に誰も口を挟めない。
突然現れた余所者が、何故だかBJに喧嘩をふっかけている。
「どっかの女が犯されてお前産んで狂って死んで?それがなんだってんだよ。」

おそらくそれは、彼を今までさんざん苦しめてきたこと。他人には絶対に踏み込んできて欲しくない部分。
その位の事は、彼の表情を見れば分かった。
そしてレンカは、自分がどうしてこれ程までに相手を苦々しく思うのか―――その理由に何となく思い至り、さらに一層苛立ってしまう。

だから敢えて、地雷を踏んだ。

「………ああ、要するにアレだ。お前母親が恋しいんだろ。なんだタダのマザコンじゃねえか」

その後の店内の騒ぎはとてつもないものだった。
BJとレンカは殴り合い掴み合いの大喧嘩を始め、何故だか周りの連中もそれに便乗して暴れ回る。
武器を使わなかっただけ、まだマシだったのかもしれない。
…………その日の店の被害総額は相当なモノだっただろう。



騒ぎの元凶となった二人は、店主に店から放り出された後もしつこく殴り合いを続けていた。
そのうちなんだか馬鹿馬鹿しくなり、妙に可笑しさが込み上げてきた。
…………自分は一体、何をやっているんだろう。
馬鹿馬鹿しいのに加えて暴れすぎて疲れたのもあり、やる気も失せてしまった。

「―――やーめた」
「……オイなんだよ、何一人で完結してんだよ。こっちはまだ殴り足りねーんだ。殴らせろ」
「一人でやってろよ。俺はもう一抜け」
「お前抜けたらこっちは一体誰を殴るってんだ。………あーもう、アホらし」
そう言ってBJはレンカの隣に腰を下ろし、煙草を取り出した。
「喫うか?」
「イラネー……」

思えばBJは、とんだとばっちりを食ったものだ。
彼は別に何もしていない。レンカの夕食を台無しにした以外は。

BJは過去に囚われている。自らの出生にある背景に、ずっと苦しめられてきたのだろう。
彼が今までどんな人生を送ってきたのかレンカは知らないし、また理解できるはずもなかった。
だが、例えどんな重いものであろうと、それは今の彼を形成している根源たるものだ。

レンカには何も無い。
自らの素性を裏付ける記憶は何一つ、彼の中には存在していなかった。
過去など無くったって構わない、そう思って今まで生きてきた。
だが、どんなに虚勢を張ろうとも、胸に空いた空虚感は埋まることは無かった。

BJに対してあれ程までに苛立ちを感じたのは、彼が過去に拘っていたからだ。
何のことはない、羨ましかったのだ。
彼には決して、そんな感情持つことは出来ないから。
自分がどれ程過去に焦がれているか思い知らされて、だが、それを認めたくはなかった。

「―――受け入れちまえよ、ヤな事全部ひっくるめてさ。
 そんでキッパリスッキリケリつけて、後は面白おかしく過ごしゃいいじゃねえか」
BJに向かって言った言葉は、自分自身にも当てはまる。
己の弱さを認めるのは、決して容易いことではない。だが、目を逸らしているだけでは前へ進めないのだ。

過去の亡霊に取り憑かれたBJと、失われた過去に焦がれるレンカ。
ある意味、二人は似ているのかもしれなかった。

自分に、ちゃんと向き合ってみる。
彼が過去を欲しているのは紛れもない真実だった。
失われた記憶の手掛かりとなるものは何も無い。あの、夢の少女以外は。
名前も顔すらもはっきり覚えていない。もしかしたら実在しない、自分で作り出した幻影なのかもしれない。
だが、彼女は自分に名前を与えてくれた。
彼が今「レンカ」として在ることが出来るのは、あの少女のお陰だった。

(…………逢えるモンなら、逢ってみてえよな………)
レンカは初めて、素直にそう思った。

その後BJと二人して夜通し飲み明かし、宿に着いたのは明け方近くだった。
翌日は宿酔いが激しく、起き出した頃にはもう日も傾きかけていた。
BJは言った。「ケリをつけてくる」と。
彼も彼なりに思うところがあったらしい。
嫌がるBJに無理矢理ここまでくっついてきたのは、退屈だったからというのも勿論あるが、彼が決着をつけるのをこの目で見届けて置きたかった為だ。



いつの間にか、周囲の雰囲気は独特なモノに変わっていた。けばけばしく着飾った女達がちらほら見える。
「ここってアレだよな、いわゆる花街。
 なにオマエ、ケリつけるとか言ってて女抱きに来たワケ?」
「ちーがーうー。ここ通るのが近道なんだよ。………興味有るなら遊んでくれば?お前」
「心配しなくても俺そこまで飢えてないから。オマエと違って」
相も変わらず下らない応酬を続けている。

「………なんだアレ?」
誰かが争っているのが目につき、立ち止まった。
「ああ、なんか揉めてんなー。あんなのここらじゃ別段珍しくもないぞ」
BJはあまり関心無さげに言う。
片方はこの辺りには不似合いな、割と身なりのいい男。そしてもう一人の小柄な方はどうやら娼婦のようだった。
「あれ?女の方結構若くないか?俺らと同じ位」
「………目敏いね、びーちゃん」
遠目だし、暗いのでレンカにはよく分からない。
若い娘だと分かると、BJは急に張り切りだした。
「やっぱさー、ここは助けておくべきだよなー人として。それでカワイー子だったら是非ともお友達に……!」
「………人として、ねえ……」

BJが彼らに向かって歩き出したその時、男はいきなり娘を殴り飛ばした。
「……おいあんた、何やってんだよ!」
男と娘は、BJの上げた声で初めて彼らの存在に気づいたようだった。

娘が顔を上げる。フードが外れて露わになった髪は、短く切り揃えられた銀髪。そして。
レンカと目が合った、その顔は―――

―――夢で見た、あの少女。

「………………シエル」

その瞬間、彼の頭に凄まじいまでの激痛が走った。
あまりの衝撃に、目の前が真っ暗になる。立ち続けていることも出来ない程に。

BJが何か叫んでいたが、彼には何一つ、聞き取ることは出来なかった。


どれくらい時間が過ぎたのか分からないが、暫くして漸く少し落ち着いてきた。
いつの間に移動したのか、場所は娼館内の少女の自室。取り敢えず休める所で、一番近場だったのがこの部屋だったらしい。
例の男はBJが追い払ったようだ。

「………おい、お前ホントに大丈夫なんか?」
「………ああ。まあ、なんとか」
BJの問いかけに胡乱に答える。
最初ほどではないが、頭痛は相変わらず続いている。だが、何とか耐えられない事はなさそうだ。

少女は心配そうに自分を見ている。
その顔には覚えがあった。確かに、自分は彼女に逢ったことがある。
名前も顔を見た瞬間に判った。
だがそれ以上のことは、何一つ思い出せない。
思い出そうとすると脳に負担がかかるのか、頭痛が激しくなる。

「何?お前らもしかして、知り合いな訳?」
BJが二人に尋ねてくる。
少女は何も言わずにレンカを見た。
おそらく彼女も自分のことを知っているのだろう。だが、レンカの様子に困惑しているようだった。
「……多分、そうなんだろ。よく覚えてないんだ」
「?……ああ、そういう事か」
BJは何となく理解したようだった。そして益々困惑気味の少女に説明する。
「こいつ、前の記憶とか無くしちゃってるみたいなんだよ。何か知ってる事あったら教えてくんない?」
「―――記憶、が……?」
少女は少なからず驚いたようだった。
「もしかして、2年位前から……?」
「……何か知ってんのか?」
多少うつむき加減に少女は答える。
「………ごめんなさい。あなたが記憶を失った経緯とかはよく分からないんだけど………」
少し間を置き、彼女は顔を上げてレンカを見た。
「でも、それより少し前のあなたになら………私逢ったことあるわ」

…………過去の断片を手に入れた。
大きな空白を埋めるほんの小さな欠片の一つ。
全てを満たすにはまだまだ全然足りなかったけれど、それは確かに、彼の存在を裏付ける力があった。
レンカは自分が少なからず、安堵しているのを感じた。

ふと時計を見る。いつのまにか随分時間が経ってしまっていた。
「BJ」相棒に声を掛ける。
「お前、行くとこあるんだろ?遅くならないほうがいいんじゃねえの」
「ああ、そりゃ行くことは行くがね。……お前本当に大丈夫なんだろうな?」
「平気だよ。もう少し休んだら先に宿に帰っとくし」
見届けられないのは多少惜しい気もするが、彼ならきっと大丈夫だろう。
「ふーん……。じゃ、まあ行くとするかね。折角の再会、邪魔しちゃ悪いし」
「…………は?」

去り際に、BJは少女の肩をぽんと叩く。
「悪いけど、もうちょっとだけコイツのこと頼むわ。
 何かワルサするようなら、遠慮なくしばき倒して構わないから」
「………何言ってんだオマエ」
そんな元気、今は何処にも残ってなどいない。



BJが帰った後、少女も「何か温かい物持ってくる」と行って部屋から出ていった。
一人部屋に残され、レンカは天井を仰ぐ。
頭痛は相変わらず続いているが、気分は悪くなかった。
過去の自分を知っている誰かが存在する、それだけの事で、ここまで楽になれる自分が我ながら可笑しかった。

「―――レンカ」
いつの間に戻ってきたのか、少女―――シエルが脇に座り、心配そうに彼を見上げている。
「大丈夫?まだ……頭痛いの?」
「もう大したことない。ちょっと疲れてるだけ」
「ホントに?………無理、しないでね」

不安そうな表情。記憶の中と同じ、だが幾分成長し、そして翳りの増した顔。
彼女が今、どんな生活をしているのかはすぐに分かった。
痛々しくて、とても聞くことは出来なかったのだが。

かわりに、別の質問を口にする。
「お前さ、俺のことどれ位知ってんの?」
シエルはレンカを見つめてきた。
「本当に……全然覚えていないの?」
頼りない彼女の瞳に、罪悪感を感じながらもレンカは頷く。
「………2年前、少しの間だけど同じ施設に居たの。身寄りのない子供が大勢居たわ。あなたがいたのは、ほんの数ヶ月の間だったけど」
「へえ……そう。じゃ、その前とか後のことは……分かんねーよな」
「うん……。ごめんなさい」
「別に謝らんくってもいいよ」

本当は、もう一つ知りたいことがある。
彼女は自分にとって、どういう存在なのか。
何故、記憶を無くした後も夢に出てきたのか。
だがその答えはきっと、彼自身にしか分からないのだ。


シエルの部屋を出て入り口に向かう階段を下りている時、休憩室らしき部屋から声が聞こえてきた。
「―――あの子んとこに来てた連中、見た?結構若かったけど」
「ああ、バンダナくんと赤毛くんね。バンダナくんはもう帰ったみたいだけど」
「赤毛って、最近よくあの子のとこに来てる、例の物好きな彼?」
「違うわよ。もっと子供っぽかった。・・・・・・そういえば、あの人も赤毛よね」
「赤い髪が好きなんじゃない?やっぱあの子、変わってるわ」
くすくす笑う、娼婦達の声。
他にも誰か、彼女の所に来ているのだろうか。
ぼんやりと考えながら、レンカは娼館を後にした。


宿に着いた頃には、全身が疲れ切っていた。
BJはまだ帰ってきていないようだ。まあいい。経過は明日にでも聞こう。
今はただ、とにかく眠りたかった。
久しぶりにゆっくり眠れそうな気がする。

もうきっと、夢に苛立つこともないだろうから―――。
赤視点。再会編。
4へ続きます。
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