フェリード/赤白 > crimson phantom 5 「見えない笑顔」
-- Update :2001-08-05 --
少し前 / レンカ、シエル
この2日というもの、レンカとBJは朝から晩まで走り回っている。
アニタの言いつける用事というのはどれも大した事は無かったが、その分思い切りこき使われていた。
最初に受け取った報酬は結構な額だったので覚悟はしていたが、まさかこんな落とし穴が待っていたとは。
仕事内容も聞かずに受けてしまったのは無謀だったと思うが、とにかくレンカには先立つものが必要だった。

自分一人ならどうとでもなるが、今はシエルもいる。早いところ安全な場所に移動したかった。
何といっても、ここはスラムなのだ。
資金を貯める間はまあ仕方ないとしても、その間の彼女の身の振り方も問題だった。
アニタの出した条件は、彼にとって大層好都合だったのだ。仕事内容を除いては。

アニタはどこぞの研究員とかで、今とあるお偉いさんに何だかの研究報告を渡すためにここにとどまっており、その間別件の研究資料を集めているらしかった。興味がないのでうろ覚えもいいところだ。
そしてレンカ達はこの資料集めを次から次へと言いつけられ、宿に帰るのはいつも深夜になる。
今日になってようやく時間が出来た。午前中に仕事は全て片付けてしまったので、今は宿に向かっているところだ。

レンカは相変わらず苛々していた。ただし前とは違う理由で。
あれからずっと頭痛は続いている。行動に支障が出る程ではないのだが、頭の重苦しい感じは消えない。
それが鬱陶しくて堪らない。
シエルはおそらく宿に居るだろう。彼女は今、特に何もすることがないのだから。

(―――あいつ、また来てんかな……)

3日前に初めて見たカルオという青年の顔を思い出し、レンカは面白くない気分になる。
シエルの友人とかいう彼は、あれからもちょくちょく来ているようだった。
彼女も退屈だろうから、話し相手になるのならそれはそれで別に構わない。
本心を言うとそれも面白くないのだが、そこまで縛る権利は彼には無かった。

一度、一緒にいる所を見かけたのだが、彼らは楽しそうに笑い合っていた。
その事がレンカには大層気に食わない。

シエルに再会した後思い出したことがある。
はっきりとした場所は分からないが、どこかの庭で夜、彼女と話していた自分の事。
かなり曖昧なのだが、断片的に記憶の底に残っていたようだ。

レンカは静かな雰囲気が苦手だ。なんとなく、落ち着かない気分になる。
周りが騒がしい方がかえって自分の存在を実感できる気がするのだ。
それは今も、そしてあの頃も同じだったようだ。

だが、シエルの傍にいる時だけは別だった。
何よりも少女の纏う静寂さを壊したくなかったからなのだが、それでも不思議と安心感を感じることが出来ていたのだ。

人と接することが少なかった少女は、表情も人一倍乏しかった。いつもどこか淋しげで不安そうな顔をしていた。
だからこそ余計に、ごくたまにふとした拍子に見せる微笑った顔が、とても綺麗に感じられた。
彼女の笑顔を見たいが為に、彼は夜、何度も部屋を抜け出した。

再会してからの彼女も、表情の乏しさは変わっていない。
最初に見た笑顔はカルオに対しての物だった。
それが嫉妬だと言うことは判ってはいたが、腹立たしいのは止められなかった。
彼の苛立ちはシエルにも伝わり、そのことで彼女は益々表情が暗くなる。
その、繰り返しだった。



宿に着いたがシエルの姿はどこにも無かった。
カルオとどこかで話しているのかと思ったが、主人によると彼は午前中に来て帰っていったらしい。
今日はアニタも朝から出ているはずだった。

シエルが一人で出歩くことなど考えられない。
嫌な予感を覚えながらそこらに居る宿泊客に訊いていると、一人の男が妙にそわそわしてその場から立ち去りかけた。
「―――おい、待てよそこのあんた」
呼び止められて男は渋々とどまり、上目遣いにレンカを見る。どこか小狡い、小心者といった感じの男だった。

「……あんた、何か知ってそうだな。あいつの居場所」
「……あの白い娘ッコなら、ついさっき見かけたけどよ……」
男は後ろめたそうに、視線を泳がせている。
「どっかの旦那と一緒だったぜ、貴族風の―――」
レンカが睨んでいるのを感じてか、視線を合わせようとせず、男はぽつりと呟いた。
「嫌がるのを無理矢理、引っ張ってかれてるって感じだったな……」
「…………それを、黙って見てるだけだったって事か?」
「な……なんだよ、こっちは面倒なことに巻き込まれんのは御免なんだよ!そんな心配するくらいなら部屋に閉じこめて縛りつけときゃいいだろ!」

逆に開き直って喚きちらす男を無視し、レンカは踵を返して宿を飛び出した。
こんな奴に構っている暇はない。
話の内容から思い当たる人物に、一人だけ心当たりがあった。


娼館の扉を乱暴に開けると、中の視線が一斉に集まってきた。
レンカの姿を確認し、ヒソヒソとやっている者もいる。数日前の騒動で、彼の事を覚えているのだろう。
それらを無視し、レンカはこの館の責任者の姿を捜す。
騒ぎを聞きつけて奥の部屋から出てきた女―――ミズリーは、レンカに気づくと眉間に皺を寄せた。

「―――あの男、どこに居るんだよ」
「誰の事だい?」
飄々としてミズリーは答える。
「しらばっくれんな。ガレットとかいう奴だよ。……俺んとこの宿、そいつに教えたんだろ」
「おや、もうそっちに行ったのかい。よっぽどあの娘に執心だったようだね、あの旦那」
「……どういうつもりなんだよ手前」

「言っとくがね、お兄さん」
煙草に火をつけながら、女は言う。その様子に後ろめたさなど微塵も感じられない。
「ガレットの旦那はうちにとっちゃ、大切なお得意さまなんだよ。アンタと違ってね。
 それをあの小娘が身の程知らずにも怒らせちまったのさ。いい迷惑だよ、全く……
 でもま、あの娘を引き渡せば全てを水に流してくれるってのさ。有り難いこったね」

無言で睨みつけているレンカをちらと見、はたと思いついたように続ける。
「ああ、もしかして金かい?心配せずとも残りの代金分はきっちり返すよ」
金にがめついこの女にしては、妙に気前がいい。
大方ガレットから結構な額を握らされでもしたのだろう。

「お兄さんもさあ……」
脇から別の女が口を挟んできた。
「あんな子のこと、さっさと忘れちゃいなさいよ。そこまで熱を上げるほどの娘でもないでしょー?」
くすくす笑う、女の声。

(―――ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃと―――)

「あの程度なら他にいくらでも見繕ってあげるわよ。何ならあたしが相手して……キャアッ!!」
カウンターに並べられていたグラスが、騒々しい音を立てて砕け散る。
レンカの振るった銃身は、あと僅かずれていたら女の顔を砕いていたかもしれない。

「………いいからとっとと吐いとけよ。そのおキレイな顔、ツブされたくなかったらな」


ガレット=ウォールマンの事はシエルから聞いている。
最初に逢ったときに彼女と揉めていた男だ。彼女の話からは、陰湿で執念深そうな印象を受けた。
「……畜生……」
一人にするべきでは無かったのだ。今更ながら自分の迂闊さが腹立たしい。

今はただ、無事でいてくれることを祈るしかなかった。



ガレットはスラムの入り口近くの、比較的小綺麗な宿に滞在していた。
娼婦達によると、彼はスラムにいる時は大抵そこに宿を取っているという事だった。
正面から入るのはさすがに拙い。他の連中に見咎められると厄介だ。
裏口へ回ろうと路地に入ったその時、奥の扉から人影が飛び出してきた。

「……シエル!」
少女はびくりとして顔を上げる。レンカの姿を見ると僅かに安堵の表情を見せた。
怯えてはいるものの、取り敢えずは無事なようだった。何とか男の手から逃げ出したのだろう。
だが、ほっとしたのも束の間、彼女は背後から出てきた男によって捕えられた。

「キャアッ!!」
「―――愚かしいな。この私から逃げられるとでも思ったのか?」
男はシエルの腕をねじ上げると、蛇のような貌をして嘲笑った。
少女は必死で逃れようとするが、男の力は強くてどうにもならない。

「そこの小僧、これは見せ物じゃないぞ。それとも、何か用でもあるのか?」
「―――レン……!!」
シエルのか細い声が少年に向けられていることに気づき、ガレットはにやりと笑う。
「……ああ、もしかしてお前か?この娘を連れだしたのは。
 だが、残念だったな。これは私のものなのだ」

下手に動くわけにはいかなかった。シエルは相手の手の内に居る。
少女のか弱い身体は、男が僅かに力を加えるだけで簡単に壊れてしまうだろう。

「短い時間だったが十分に楽しんだだろう?この娘、年の割にはいい身体をしているからな。私も何度も楽しませて貰ったよ」
男の言葉に、シエルは見る間に青ざめた。
その場から逃げ出したくても、ガレットの力は強く身動きをとることすらままならない。
「…………お願い、やめて…………!」
力無い少女の懇願に対し、帰ってきたのは酷薄な嘲笑。
「……なんだ、随分と殊勝な態度じゃないか。もっと楽しませてみたらどうだ?
 所詮男に媚を売るしか能のない、売女のくせに」

突然、銃声が響き渡る。
銃口は全く見当違いの方向に向けられていたが、その音に驚き、一瞬ガレットの身体がシエルから離れた。
僅かに生じた隙に、今度は男の左足に狙いを定めて撃ち抜く。

苦痛に呻き、転げ回る男に向かってレンカはゆっくりと歩み寄った。
シエルの手を引き後ろに押しやると、彼は無表情のまま、血にまみれた男の足を踏みつけた。

絶叫が響き渡る。
それを意に介せずに、銃の威力を最小にして男の両手両足に銃弾を撃ち込む。
出来るだけ長く、苦痛を味合わせるために。

これ程までに、怒りに任せて行動をしたことは今までに無かった。
男の絶叫も命乞いの声も、何一つ彼の耳には届かない。
ただ、真っ黒な感情のみが彼の中に渦巻いていた―――。

「―――やめて!」
シエルが背後から縋り付いてきた。
「もう……いいから。それ以上やったら死んじゃうわ……!
 私、大丈夫だから。何ともないから……」
少女の声とぬくもりに、ようやく我に返る。
あらゆる感覚が急速に戻ってきた。
「―――シエル―――」
男は既に、虫の息となっている。

辺りが騒がしくなる。銃声に気づいて人が集まってきそうだ。
面倒なことになる前に、レンカはシエルの手を引いてその場から離れた。



「レンカ、待って」
しばらく走って人気が無くなった路地で、シエルはレンカを呼び止めた。
「……腕、怪我してるわ」
「……ああ、大したことねえよ」
いつの間にか左腕を負傷していたようだ。
「血、止めなきゃ……座って」

少女はレンカを座らせ、ハンカチを取り出して止血する。
それが終わると僅かに彼から身を離し、うつむいたままぽつりと言った。
「…………軽蔑、したでしょ?私のこと」
レンカは彼女を見つめるが、陰になってその表情は見えない。
「あの男の言ったことは本当よ。…………私は、汚れてるの」

「―――シエル」
「さわらないで……」
顔を上げた少女は、捨てられた仔犬のように頼りない瞳をしていた。

「……あなたに、ずっと逢いたかった……
 逢いたくて逢いたくて、気が狂いそうだったわ」
彼女は両の手で自らの顔を覆う。
「だけどこんな私……見られたくなかった……!」

自らの全てを否定する少女。
だがレンカにとっては、かけがえのない誰よりも大切な少女。

抵抗するシエルを強引に引き寄せ、抱きしめる。
「―――汚れてなんか、いないよ」
彼女はわずかに震えていた。
「軽蔑なんてしない。昔とちっとも変わってないよ、お前。
 ……ごめんな、もっと早くに見つけてやれなくて」

彼にしがみついてシエルは、まるで子供のように声を上げて泣いていた。
こんな小さな身体に、一体今までどれ程の苦痛を味わってきたのだろう。
過ぎてしまった現実は変えようが無く、彼女が受けた傷も、決して消えることはないのだ。

自分には、ただ抱きしめてやることしかできない。
己の無力さが、悔しくて堪らなかった。
赤視点。苛立ち編。
6へ続きます。
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