フェリード/赤白 > crimson phantom 2 「夜の庭」
-- Update :2001-06-23 --
少し前 / シエル、カルオ、レンカ
空はまだ薄暗かったが、地平のあたりは僅かに白み始めていた。
今日も天気は良くなりそうだ。急いで服を着替え、外に出る。

陽が昇る前の、早朝の散歩。それがシエルの日課だった。
日中は外には出られないが、動くことは好きなのだ。
アルビノ―――生まれつき極端に色素が薄いため、彼女の身体は強い日光には耐えられない。
肌も髪の色も白く、瞳だけが薄い紅色をしている。

シエルが現在寝起きしている娼館は、スラムの中でも奥まった界隈に位置する。
昼日中でも危険きわまりない一帯だが、さすがに日の出前に出歩く者は滅多にいない。
普段は澱んだ空気も今は澄んでいて、微かに帯びた冷気が心地よい。
一日の内でこの時間帯が一番好きだった。未だ汚れていない空気が、身も心も清めてくれそうな気がしたから。
……最も、穢れきったこの身体が無垢に返るなど、有り得ないとは解っていたけれど。

「……シエルサーン!」
思いがけず名を呼ばれて、驚いて振り返る。
「カルオさん?……どうしたんですか、こんな朝早くから」
「イヤア昨夜ちょっと飲み過ぎちゃっテ……。気が付いたら朝になってマシタ。
 で、この辺通りかかっテ、シエルサン居ないかなーて思ってたら!……運命って素晴らしいデスね!」
カルオの登場に、思わず笑みがこぼれる。彼はシエルにとって、唯一友達と呼べる存在だった。

彼との出会いは、少々前にさかのぼる。
旅の途中との事だったが、宿と勘違いして娼館に入ってきたようだ。何をどう間違えたのかは未だに謎である。
何人もの商売女に囲まれて困っているのを、見るに見かねて助け船を出したのがきっかけで、それから度々訪ねてきてくれるようになった。
それまで、こんな風に気兼ねなく話が出来る相手は居なかったので、純粋にとても嬉しかった。

カルオは色んな話を聞かせてくれた。彼の生まれ育ったエムズという国や、これまでに立ち寄った様々な土地の話。
世界をほとんど知らないシエルにとって、そのどれもが新鮮で、心躍る話だった。
彼自身は、村のしきたりによって花婿修行中とのことだった。旅の目的には花嫁探しも含まれているらしい。
それなのに、このような場所にちょくちょく出入りしていいのだろうかと、少々疑問に思わないでもなかったが。

「―――カティシア……?」
話の途中で、聞き覚えのある名が出てきた。
「知ってるんデスか?ここに来る少し前に立ち寄った村なんデスケド」
「……以前私、そこにいたの。小さな施設……なんだけど……」
そして、彼女が捨てられた村。彼女を捨てた家族が今どうしているかなんて、別に知りたくもなかったけれど。
幼い頃、まだ家族がいた頃の記憶はほとんど残ってない。物心付いた頃にはすでに施設に居た。
「施設……?そんなの無かったケドなあ……」
「2年前に、無くなっちゃったから。……火事、で……」

施設が潰れた後、住処を失ったシエルは、誰かに連れられてスラムまで辿り着いた。
昼間はろくに動けず、身寄りも何もない少女に残された道は、身体を売ることの他に何も無かった。
どうしようもない生活の中で、それでも今まで絶望に陥らずに生きてこられたのは、失いたくない希望があったから。
叶うあてもほとんど無い、頼りない願い。それでも信じていたかった。

今までの人生の中で、きっと一番幸せだった頃に交わした、あの約束―――。



何もかもが、味気なかった。
シエルの世界は限られている。白くて何もない、まるで病室のような小さな部屋。それが全てだった。
この部屋に訪れる人も滅多にいない。大人達はいつも何かに追われて忙しなく働いていたし、元気有り余る子供達はこんな陰気くさい空間に寄りつこうともしない。
体が弱いとはいえ、特に病気をするでもない彼女は、大人達にとっては手の掛からない理想的な存在であるに違いない。
昼間する事と言えば、寝ているか本を読んでいるか、外で遊ぶ他の子供達を眺めているかしかなかった。

それでも最近、少しだけ楽しみなことがある。
少し前から、遊んでいる子供の中に新顔を見かけるようになった。
最初から目に付いた。鮮やかな赤色の髪がよく目立っていたので。
年の頃はシエルと同じくらい、13、4といったところか。
とにかく元気な少年だった。動いてない時の方が珍しい程だ。飽きもせずに、いつも何やら楽しそうに走り回っている。
いつの間にか、無意識のうちに彼の姿を探すようになっていた。
自分は決してあの中には入れないけれど、見ているだけで何だか楽しかった。

夜、陽が落ちてからの外出は禁じられていた。
施設の周りには小さな森の他に何もなく、危険な目に遭うこともほとんど無いだろうに、大人達の頭はガチガチなのだ。
そして好奇心旺盛な子供達は、まず言うことを聞かない。こっそり遊びに抜け出しては見つかり、翌日罰掃除などをさせられるのだ。
だが、それも日が暮れて間もない時間のこと。昼間遊び疲れた子供達は、やがて夢の世界へと旅立つ。
一日の仕事を終えた大人達も、じきに寝床に入る。

誰もが寝静まった深夜に、シエルは起き出す。彼女の秘密の習慣だった。
今なら煩わしい日光もない。話し相手が誰もいないのが寂しかったが、普段動けない彼女が唯一、自由を満喫できるひとときだった。
近くを流れる小川のせせらぎや、小さな虫の声に耳を傾ける。
月の明るい日には森の中に入ってみるのも楽しかった。

不意に、近くで物音がして、シエルは身を固くした。
「…………誰……!?」
人攫いか、はたまた猛獣か。だが、予想に反してそこに居たのは、赤い髪の少年―――。
「……びびった……。なんでこんな所に人間が居るんだよ」
自分だって人間のくせに、おかしなことを言う。
「……こんな時間に外に出て、怒られるわよ」
「何言ってんだ、お前だって同罪じゃないか」
「私はいいの。特権よ」
少年は妙な顔をして、傍まで歩いてきた。
近くで見て初めて気づいたが、瞳の色も髪と同じ、僅かに黒味がかった赤色をしている。
「お前ってさあ、いつもこーいうことしてんの?」
「いつもじゃないわ。天気のいい日だけ」
「ふーん……」
言って彼は夜空を見上げる。今夜は満月だ。
「……なんか今日は寝苦しくってさ、外見たら妙に明るいし……暇だから出てきた」
そして、ふと思い出したように振り返って言った。
「そういや、会うの初めてだよな?俺、レンカ」
「あ……、私……」
「知ってるよ。シエル、だろ?」
…………驚いた。
相手が自分の名前を知っているなんて、夢にも思わなかったから。
「……どうして、名前……?」
「他の連中に聞いたんだよ。『あそこでいつも、羨ましそうにこっちを眺めているアレは誰だ』って」
顔が、火照ってくるのが判る。まさか、見られていたなんて……。
少年は可笑しそうに笑っていた。
「お前さあ、そっちから見れるって事は、こっちからも丸見えって事なんだぞ?」
言われてみればそれは当たり前のことなのだが、退屈を持て余していたシエルと違い、遊びに夢中な外の彼らにこっちを見付ける余裕なんて無いと思っていた。
「……仕方ないじゃない。外に出られないんだから」
羨ましがっている、と思われていたことが妙に恥ずかしくて、少し怒ったような口調になってしまった。
レンカは少し考えて、やがて思い立ったようだ。おそらく彼女の身体も事も、「他の連中」から聞いたのだろう。
「……ああ、それで夜の散歩ってワケか。もしかして俺、邪魔?」
言われて、慌てて首を振る。一人で居るのはつまらないと、ずっと思っていた。
それに彼が行ってしまうと思うと、何だか無性に辛かった。
「それじゃあ問題無いな。ちょっとの間暇つぶしに付き合わせてやる」
何故だか妙に偉そうな言い方だったが、シエルは素直に頷いた。

「あ、ねえ、外に出てたこと……誰にも言わないでね?」
「言うもんか。俺達、同罪だしな。……お前こそチクるなよ?」
言って彼は悪戯っぽく笑う。
二人だけの秘密―――それは、一人きりのものよりもずっと、素敵に思えた。



夜の散歩は、相変わらず同じように続いている。皆が寝静まった頃に起き出して、短い自由を楽しむ。
今までと同じ、だけど今までよりも楽しみな時間になった。
時々、思い出したようにレンカが来てくれたから。
昼間あれだけ遊び回っていて、夜にまで起き出すのは疲れないのだろうかと思うのだが。
意外なことに、彼は喋らないことの方が多かった。普段見ている限りでは、他の誰よりもうるさく騒いでいたのに。
人と会話するのが苦手なシエルにとっては、かえってその方が気が楽でよかった。
一度、あまりに静かになり、ふと横を見るといつの間にか寝てしまっていた時があった。
風邪を引くといけないので起こそうかと思ったのだが、もう少しだけこのままで居たくて。
……暫く、そのまま起こさずにいた。

「お前ってさあ、なんか楽しみとかって無いわけ?」
ある時、唐突にレンカは聞いてきた。
「……どうして?」
「なんつーか、いっつもつまんねーって顔してんじゃん。全然笑わねえし」
「私にだって楽しみぐらいあります」
「へえ。どんな?」
「……言わない」
言えるわけがない。彼に逢うこと、などと。

深い夜空を仰いで、少年は呟く。
「ここってさあ、なんとなくだけど……昔居た所に少し似てんだよ」
「昔?思い出の場所とか?」
「みたいなもんかな。すげえガキの頃で、色んな所転々としてきたから、はっきりとは覚えてないんだけど」
懐かしそうに、僅かに目を細めて彼は続けた。
「……色んなモノが、眩しくってキレイで。なんてーのかな、まるで楽園みたいだったよ」
「…………楽園……?」
「ま、実際は違うんだろうけどね」
想像してみる。不思議なことに、それだけでなんだか楽しくなった。
「そこなら、私でも幸せになれるかな……」
思わず口をついた言葉に、少年はにっと笑って答えた。
「楽園だからな。きっと何でもアリさ」
「……バカにしてない?」
「してねーよ。俺だって行けるもんなら行ってみたい」

しばらくの沈黙の後、彼はぽつりと言った。
「…………一緒に、行こうか」
「…………え?」
「きっと何処かにある筈だよ。いつか絶対見つけて、それでお前も連れてってやる」
「……私も行っていいの?」
「当たり前だろ?なんのための楽園だよ」

楽園―――何処にあるかも分からない、存在すら不確かな、ある意味本当に夢の世界。
彼はおそらく、軽い気持ちで口にしたのだろう。
それでも、とても嬉しかった。
退屈で、つまらない毎日。未来に希望すら持てず、流されるままにただ生きてきた。
そんなシエルに、レンカはささやかな楽しみと、そして夢を与えてくれた。
ただそれだけのことが、泣きたくなる程嬉しかったのだ。

「……なんだよその顔。さては信じてねーな?」
慌てて首を振る。何か言いたかったが、言葉が上手く出てこなかった。
「ま、いーや。ちゃんと覚えてろよ?約束したからな」
「…………うん、約束……」
やっとのことで、それだけ口にする。
彼女の微笑んだ顔を見て、少年は満足そうに笑った。

それから数日の後、レンカは突然姿を消す。
施設の者には、誰もその理由が分からなかった。
約束は果たされぬまま、年月は流れていった―――。



カルオと別れた頃には、もう陽も大分高くなっていた。
そろそろ店の他の女達も起きてくる時間だ。そして彼女たちは、お喋りしたり買い物に出かけたり、思い思いの時間を過ごす。
シエルと同僚達の仲は決して良いとは言えなかった。
買い物にもあまり興味がない。出掛ける用があるとしても、日が落ちてからだ。
だからこの時間、彼女は自室で仮眠を取るか、本を読むなどして過ごしている。

部屋に戻りかけた時、ミズリーに声を掛けられた。この娼館を取り仕切っている女だ。
「アンタにお客だよ」
「………客……?」
「ガレットさん。ホラ、とっとと支度しな。お待たせするんじゃないよ」
ガレット=ウォールマンは、この娼館にとってかなりの上客だった。
どこの道楽息子か知らないが、よほど金と暇を持て余しているらしい。
外見もそこそこ、話術にも長けているので、ここの女達の間では結構な人気がある。
そして彼は何故だかシエルを気に入っているようだった。
ガレットの名が出た途端、近くにいた女達の嫉妬と敵意に満ちた視線を感じた。
代われるものなら、代わってやりたい。
心底げんなりしてシエルは思う。

彼女は客に対して何の感情も持っていない。客は客、それだけだ。
だが、ガレットだけは苦手だった。
彼はシエルに、幾度となく囁いた。「私のモノになれ。いい暮らしをさせてやる」と。
今の生活は、はっきり言って最低だ。物のように扱われ、不自由極まりない。
それでも、心だけは自由だった。
誰かを想うことも、夢を見ることもまだ許されている。
どんなに裕福な暮らしをしようとも、綺麗に着飾ることが出来たとしても、誰かの所有物になるのだけは我慢できない。
それだけは、譲れない一線だった。
ガレットは彼女のことを、毛色の珍しい小動物程度にしか見ていない。
飽きたら何の躊躇いもなく、簡単に捨てるだろう。その程度のことは容易に想像できた。
立場上あまり強く出ることも出来ず、それとなくかわしてきたが、それももう限界かもしれない。

「何やってんだい、ぐずぐずしてんじゃない。
 分かってるね?くれぐれも、旦那の機嫌損ねるようなことはするんじゃないよ」
ミズリーが急かす。
すれ違いざま、同僚の一人がシエルに聞こえるように呟いた。
「アルビノって得よねー。見た目変わってるからって珍しがられちゃってさー……」

愛想のかけらもないシエルがこの業種で生き残れたのは、この異質な外見に因るところが大きいだろう。
そしてそのことが、彼女たちには気に食わないらしい。
………利用して何が悪い。
そう、心の中で毒付いた。
アルビノとして生まれて、いい事なんて何一つ無かった。
親には捨てられ、虚弱な体質でろくに外に出ることも出来ない。まともな仕事にもありつけず、今ではこの有様だ。
それくらい、許されてもいいだろう。
浅ましい考え方。自分はここまで堕ちてしまったのか。
周りの物は、みんな大嫌い。
だけど、何よりもどんな物よりも、自分のことが一番大嫌い―――。

スラムの一日はまだ始まったばかり。
………そして澱みは、次第に濃さを増していくのだ。
白視点。過去の思い出編。
3へ続きます。
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