フェリード/赤白 > crimson phantom 4 「血の記憶」
-- Update :2001-07-24 --
少し前 / シエル、レンカ、BJ、カルオ
感情が昂ぶり過ぎると、かえって冷静になってしまうらしい。今のシエルはまさにその状態だった。
身体と心が、まるで完全に切り離されているようだ。

レンカが帰った後、シエルはミズリーに呼び出された。
ガレットを怒らせたことでこっぴどく叱られ、挙げ句減給まで言い渡されたが、シエルはほとんど上の空だった。
それでも、外見だけは落ち込んでいる風に取り繕ってはいたけれど。

一人になって漸く、感情が戻ってきたようだ。
レンカは記憶こそ失っていたものの、昔の彼と何一つ変わっていなくて、それはシエルにとって何よりも嬉しかった。
逢いたくて逢いたくて、だけど何処かで諦めていた。
あの瞬間、彼の姿を最初に目にした時は、自分の目がまるで信じられなかった。

2年前、娼館に売られたあの時に、シエルは何があっても決して泣かないと心に決めた。
泣いても状況は変わらない。かえって辛くなるだけだと判っていたから。
だけど今、涙を止めることは出来なかった。
レンカに逢って今まで張ってきた精一杯の虚勢が、脆くも崩れてしまったのだろうか。
この2年間の全ての想いが、残らず堰を切って外に溢れ出すようだ。
自分でもどうしてこんなに涙が出るのか解らないくらいだった。

レンカが去り際に残した言葉、「また来る」というその一言が、シエルにとってどれだけ嬉しかったか、彼は判っているのだろうか。


翌日シエルが目を覚ましたのは、いつもよりも随分遅かった。
昨夜泣きすぎたせいで頭がガンガンする。重い身体を何とか起こして、寝台から出る。
そして部屋の空気を入れ換えるために、窓を開けた。
下の通りもそろそろ人が多くなってきている。
ぼんやりと眺めていると、所在なげに佇んでいる赤い髪の少年が目に映った。

眠気は一気に覚めた。
慌てて服を着替え、顔を洗う。……大丈夫、泣いた跡はさして目立たない。
入り口の扉を開けると、強い日射しが飛び込んできた。だがそんなものに構ってはいられない。
彼はまだ、いるのだろうか。

「―――レンカ!」
「…………。ああ、よう」
息を切らして出てきたシエルに驚き、次いで気まずそうにレンカは返してきた。
僅かの時間、沈黙が流れる。

「……頭痛、もう大丈夫なの?」
「ああ。平気だよ、もう全然。……それよりお前こそどうしたんだよその顔」
「え?」
「頬。赤くなってんぞ」
昨夜、ミズリーに殴られた跡だ。
涙の跡ばかりに気を取られていて、こっちまで頭が回らなかった。
「……もしかして誰かに殴られたのか?」
「……平気。大したこと無いから」
「ふうん……」
彼の手が、シエルの頬に触れる。
……心臓が飛び出しそうなほど、驚いた。

「ああそういや、今時間大丈夫なのか?」
「……う、うん……。夜までは特にすることもないから」
夜まで、という言葉に、レンカは一瞬眉をひそめる。
「―――あ、ねえ。立ち話も何だし……部屋、行かない?」
「そうだな……。何か目立ってるし」
気が付くと、彼らはじろじろと見られていた。
よく考えなくてもここは往来のど真ん中なのだ。



「先、行ってて。何か飲み物もってくるから」
厨房に向かいかけたとき、同僚の一人が声を掛けてきた。
「ねえシエル、ちょっと聞きたいことあるんだけど」
数人の女達と、そしてミズリーも居た。
「…………何……?」
嫌な予感がした。彼女たちが話しかけてくる時はろくな事がない。
「そこのお兄さんも。この子に関わるとろくな目に遭わないわよ?」
レンカは立ち止まった。女達はくすくすと笑っている。
一体、何を言い出すつもりなのだ。

ミズリーが渋い顔で切り出した。
「―――昨夜からね、店の売上金が一部足りないんだよ。
 ……こういうことは言いたかないんだが、お前があの辺うろついているのを見たって者が居てね」
一番後ろで一人の娘が薄く笑った。

―――嵌められた。

その娘は、ガレットに大層執心していた。おそらく本気で憧れていたのだろう。
そしてそれ故にシエルに対する敵対心は、他の誰よりも強かった。
あからさまな幼稚な嘘。
だがここに、シエルの味方となるような者は一人としていない。
彼女を陥れることは、これ程までにたやすいのだ。

「勝手なこと言わないで!私そんなの知りません」
「―――どうだか。
 あんたさあ、最近カルオって人と仲イイみたいじゃん?
 その彼との駆け落ち資金でも必要だったんじゃないのー?」
次から次へと、よくもまあ思いつくものだ。
その上、何の関係もないカルオにまでも、有らぬ誤解をかけるとは。

「そういえば昨日ガレットさん怒らせちゃったんだって?あの人に可愛がられる当てがなくなったもんだから、別の男に乗り換えってワケ」
悪意に満ちた、誹謗中傷。
彼女たちはここぞとばかりにシエルを陥れようとしている。

―――もうやめて……!
彼が、聞いているのに…………

「―――馬鹿じゃねえの」

それまで沈黙を守ってきたレンカが、突然口を挟む。
「そんな使い古した手、今時ガキでも使わねえよ。アッタマ悪ぃ集団だよなあ」
彼女たちの顔色が変わる。だが口を開くより先に、レンカが続けた。
「要するにサア、金が戻ってくれば文句はねえんだろ?」
その言葉を聞き、ミズリーの目がキラリと光る。
「へえ……。お兄さん、出してくれるってのかい?」
「ちょっ……、レンカ……!?」
「いいから黙ってろよ。お前だってこんなとこもう居たくねえんだろ」
「え……?」

「ちょっと待ちなお兄さん」
ミズリーがズイと前に出てきた。
「アンタがこいつの替わりに払ってくれるってんなら、それはそれで一件落着だ。別にどこの出だろうとこっちは一向に構わないからね」
じろりとシエルを睨んで、女主人は続ける。
「だけどまさか、この娘を連れて行くつもりじゃないだろうね?」
「悪いか?これ以上こんなところに、こいつ置いとくつもりはさらさらねえんだよ」

想像もしなかった展開に、女達は呆然と成り行きを見守っている。
それはシエルも同じだった。

「アタシとしても、この疫病神がいなくなってくれるなら願ったりだけどね、こいつにはまだ働いて貰わなきゃならない。
 ウチは給金前払い制なんでね。今月分はもう既に渡してあるんだよ」
「へえぇ……」
少年は馬鹿にしたように笑った。
「それじゃあ残りの日数分、俺がこいつ買うよ。それで問題ねえだろ」


私物の量は大したものではなかったので、準備にはさほどの時間はかからなかった。
そしてその間に、あらゆる手続きは済んでしまったようだ。

こうしてシエルは娼館を後にする。
2年間住み慣れた、だが決して好きにはなれなかった場所。
もう二度と、ここへ戻ってこなくていいのだ。
彼女は一度も振り返ることはなかった。

レンカは一言も喋らず、通りを進んで行く。
シエルの腕を引く彼の手は、とても力強かった。
涙が出そうになるのを必死で堪えながら、彼女もまた、黙って少年に引かれるままについていった。



宿に着いた二人を待ち受けていたものは、爆笑の嵐だった。
BJが一人で笑い転げている。
最初は黙って見ていたレンカも、ついに堪忍袋の緒が切れてBJを蹴り飛ばした。
「―――いつまでゲラゲラ笑ってやがんだテメエ」
BJはまだ苦しそうに腹を抱えている。
「……だってお前、盗まれた金の肩代わりだけならともかくだよ?は……20日分まるごと女買うとは……!
 普通やらねえよ、ああ苦しい。頼むから笑わせて……!」
レンカは苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。
笑われることは覚悟の上で話したので、何も言えないのだ。

「イヤしかし、朝から姿見えないんで一体どこに行ってるかと思えば、そんなステキなドラマがあったとは……!
 キミサイコー。か、可愛すぎる……!」
またもや笑いに突入しようとするBJに、レンカはついに銃を向けた。
「……一回死んで来いよお前」
「―――ああゴメン。俺が悪かった。もう笑いません。……多分ね」

ようやく笑いのおさまったBJは、急に真面目な顔になって言った。
「イヤでも正味な話、お前これからどうするつもりなんだよ」
「どうするって?」
「そいつ―――シエルだっけ?買うのに有り金全部使っちまったんだろ?もう一部屋とる余裕なんて無いんじゃねえのか」

問題はそこだった。
もともとBJは無一文だったし、レンカも今回の件でスッカラカンになってしまった。
次にどういう行動をとるにせよ、資金繰りは必要だった。
今はシエルもいるので迂闊に移動するわけにもいかない。
さらに間の悪いことに、今彼らが滞在している宿に他に空き部屋は無いとのことだった。
彼女自身は同室でも構わなかったが、そこはレンカが頑として譲らなかった。

「何だよ、そんな判断もつかないほど熱くなっちゃってたワケ?
 青春真っ盛りだねー。若いってイイワネー」
「お前そんなでかい口叩けた立場か。居候の分際で」
不毛な応酬に突入しようとしたまさにその時。
「ねーえそこのボウヤ達」
「誰がボウヤだ!」
突然かけられた女の言葉に、全く同じ反応を二人は示した。


女はアニタと名乗った。
彼らと同じようにこの宿に滞在している客らしい。
「どうやらお金に困ってるようだけど。何ならいい仕事提供するわよ」
突然の申し出に彼らは顔を見合わせる。
「あたしちょっとやらなきゃいけない事があるんだけど。ホラ、この辺り物騒じゃない?女一人出歩くのって危険だし、使えそうな人捜してたのよ。
 ボウ……君たち結構腕も立ちそうだし」

「オシゴト……ねえ……」
レンカはちらりとシエルに目をやる。
「ああ、その娘の寝泊まりできる場所が必要なのよね。あたしが一緒で構わないなら、部屋に住まわせてあげるわよ」
「いいの……?」
そうできるなら、シエルにとっても有り難い。彼らの足を引っ張らなくて済む。

「―――なーんか、胡散臭いよねー」
BJは鼻白んで言った。
スラムで育った彼は警戒することを怠らない。
「こうもトントン拍子にいくと、どうもねー。美味い話には裏があるって言うしー」
「アラ酷い。疑ってるの?人手が欲しくて困ってるのは事実なのに。
 ―――当然、前金も出すわよ?」
「その話、乗った」
すかさずレンカが答える。
「……オイお前、もうチョット慎重にだな……」
「慎重に考えて答えが出るんならな。他にいい方法あるなら言ってみろよ、タダ飯食らいのBJくん」
「…………。まーお前がいいならそれでいいんじゃないのー」
BJは半ば投げやりに同意した。タダ飯食らいと言われて少々傷ついたらしい。

「決まりね。それじゃあ具体的な内容だけど―――」
アニタが話を進めようとしたその時、騒々しい音を立てて入り口の扉が開いた。
「あっシエルさーん!!良かった、無事だったんデスねッ!」
入ってきた青年はシエルを見ると、ヒシと彼女を抱きしめる。
その瞬間、背後でもの凄い殺気を感じた。
「……か、カルオさん!? 一体どうしてここが……」
「お店の人に聞いたんデス!……会いに行ったらシエルさん居なくテ、よくよく聞いてみると何処かの馬の骨に買われていったって……!!
 ……心配してたんデスよ……!!」

カルオはまだシエルを離さない。
彼を睨みつけているレンカに気づくと、負けずにキッと睨み返した。
「……さてはアナタが悪い人ですね……!?シエルさんをどうするつもりナンデスカ!!」
「……あぁ?いきなり現われて何なんだテメーは」
「ご、ごめん。ちょっと出てくる。……カルオさん、こっち来て」
まさに一触即発の空気が漂っており、シエルは慌ててカルオを連れてその場から離れた。


「―――そうデスか。お仕事、辞められたんデスね」
おおよその経緯を話して聞かせると、カルオはふうとため息をついて言った。
「だけど、良かったデス。……シエルさん、見ていて痛々しかったから。何か自分で自分を傷つけテルみたいで」
「カルオさん…………」
「ホントの事言うと、かっさらって逃げちゃおうかとも思ったんデスけどね」
「え………?」
「だけどシエルさん、ずっと誰かを待ってるみたいだったデスしね。……さっきのあの人、デスか?」
顔が赤くなる。それは何よりも肯定の意。
「…………逢えて、良かったデスね」
カルオはにへっと笑った。

「さてと。それじゃあボクはこの辺で失礼しマスね」
「あ……カルオさん」
立ち上がりかけた彼を呼び止める。
「……ありがとう、来てくれて……」
カルオは笑って「また来マス」と言い残し、その場から立ち去った。

本当に、ありがとう。
あなたが居てくれたことで、どれだけ勇気づけられたか分からない。
こんな私―――弱くて、どうしようもない私なんかの
……傍に居てくれて、ありがとう……。

シエルは暫くその場にとどまって、カルオが去った方を見つめていた。



宿のロビーに戻ると、そこにはもうアニタ一人しか居なかった。
「あっ、シエルちゃんこっちこっち。部屋に案内するわ」
レンカとBJは既に最初の仕事に出掛けたらしい。

部屋に着くと、アニタはふうと一息ついた。
「疲れたでしょ、ゆっくり休んでね。あたし、部屋空けてること多いし、全然気兼ねしなくっていいからね」
「―――あの……どうしてこんなに、私達に良くしてくれるんですか?会ったばかりなのに……」
「あらやだ。まだ警戒してんのー?」
「あ、いえ。そんなんじゃなくって……」
アニタは「冗談よ」と、クスクス笑った。

「なんて言うかね、あんた達くらいの歳の子見ると、放っておけなくて。知ってる子でちょうど同年代の子が居たから。
 ……8つの時、死んじゃったんだけどね……」
「…………」
「あんた達見てると、あの子も生きてればこれくらいなのかなーって思って。……それで、なんとなくね」
アニタは寂しそうに笑った。

「ねえそれよりさあ、一体どっちとデキてんのよ。赤い方?それともバンダナくん?」
「え…………」
話の変わりようについていけない。
「どっちも割とイイセンいってるわよねー。……あたし赤毛くんちょっと好みかも。お姉さん誘惑しちゃおうかしらん」
「だ……駄目っ!」
思わず声を上げてしまった。アニタは彼女の反応を見て、クスクスと笑っている。
「ムキになっちゃって、カワイー。安心して。あたし年下には興味ないから」
からかわれたことにようやく気づき、恥ずかしさで赤くなる。
今日だけでもう何度、赤面したか分からない。
「ふーん、やっぱレンカの方か……。カレ、あなたがあの男の人と出ていった後、すんごい気になってたみたいよ?
 あとでフォローでも入れといてあげなさいな」


深夜になってもシエルは全く眠くなかった。
普段から夜型の生活だったし、今日は色んな事が有りすぎて頭が冴えてしまっている。
隣のアニタはもう、とうの前に眠りに落ちていた。

部屋の外で物音がした。レンカ達が帰ってきたのだろうか。
アニタを起こさないよう注意しながら、シエルは静かに扉を開けて外に出る。

「レンカ」
「―――ああ、何だまだ起きてたのか」
彼は一人のようだった。
「今帰ってきたの?BJは?」
「あいつなら、なんか寄るところがあるってさ。先に帰ってきた。……あの女、もう寝てんの?」
「うん。とっくの前に」
「ケーッいい気なもんだよなー、人のこと散々こき使っといてさ」

レンカはカリカリしている。相当疲れたのだろう。
「つまんねーことであちこち走り回されたんだぜ?パシリ扱いすんじゃねえっつーの。
 まあ金貰ってる分には働くしかないんだけどさー、横暴だよな、全く……」
頭をかきながら、レンカはブチブチと文句を垂れている。

シエルはその時初めて、彼がチョーカーを外していることに気づいた。
そこにある傷跡に目が留まる。
そしてレンカも、彼女の視線の先にあるものに思い至る。
「―――ああ、コレ?いつのまにか出来てたんだけど。……何か知ってるか?」
いつのまにか、というのは記憶を失う前のことだろう。
かぶりを振るシエルを見て、少年は「そうだよな」とつぶやいた。

「―――んじゃ、俺明日も早いしそろそろ寝るわ。お前もあんまり夜更かしするなよ」
「うん、おやすみなさい……」
レンカが部屋に戻ったのを確認した後も、シエルは暫くその場にとどまっていた。

…………嘘を、吐いた。
彼女はあの傷のことを知っている。いや、正確には思い出したのだ。
そしてそれと共に、悪夢も蘇る。
出来ることなら忘れていたかった、忌まわしい記憶。



レンカが消えてから2週間が過ぎようとしていた。
施設の人間も色々と調べていたようだが、結局彼の足取りは掴めなかったようだ。
あれからシエルは夜の散歩に出ることも減った。
冬が近づいて寒くなってきたからと言うのもあるが、何より、もう決して来ない少年を待ち続けてしまうのが辛かったのだ。
彼女は現在、離れの部屋で寝起きしている。
今まで居た部屋の補修工事のため、3日前からこちらに移されたのだ。

その日、シエルは朝から寝込んでいた。
季節の変わり目に加えて、精神的な落ち込みも関係しているのだろう、高熱が出てダウンしていた。
重病とまではいかないが、頭が朦朧としており食欲もない。
一日中寝て多少は回復したものの、頭はぼーっとしたままだ。
夕食も採らずにそのまま部屋で寝ていた。

寝苦しくて目が覚める。
なんとなく、空気がざわついている。得体の知れない不穏な予感。
シエルは茫洋とした頭ながらも、そういったものを感じ取っていた。
窓の外を見る。外は妙に明るかった。
……もうとっくに日は落ちている筈なのに、どうしてこんなに明るいんだろう。
なんとか起きあがって外に出る。
熱のせいで上手く身体が動かなかったが、それよりも不安の方が大きかったのだ。

そこで彼女は目にする。
炎に包まれて崩れゆく、施設の姿を―――。

シエルの心は恐怖でいっぱいだった。
何が起こったのか、彼女には全く分からない。
一番怖ろしいのは人の気配がしなかったことだ。もう既に、みんな避難した後なのか、それとも―――。

木の陰に誰か倒れているのが見えた。
急いで駆け寄る。2つ3つ年下の男の子だった。
煙に巻かれて逃げ遅れたのだろうか……。だが、次の瞬間そうではないことに気づく。
彼は大量に出血していたのだ。
少年の手からナイフが落ちた。その刃に血は付いていない。
何かから身を守ろうと、握っていたように見える。……一体、何から……?

炎の中から、誰かが歩み出てきた。
燃えさかる炎によって、あらゆるものが赤く染められている。
現われた少年の髪も、炎のように赤い。

「―――レンカ……?」
シエルの声に反応し、少年は立ち止まる。
そして彼女の姿を確認すると、嬉しそうに、嗤った。
探し続けていた獲物を見つけたかのように。

シエルは動けなかった。少年はゆっくりと彼女に近づいてくる。
首に手をかけられたときも、反応一つ出来ずに彼を見つめていた。

不意に、込められていた力が抜ける。
背後の火の気など何もない場所で突然爆発が起こった。
その衝撃音にシエルは我に返る。
少年は頭を押さえてうずくまっていた。

「レン―――」
「触るなっ!!」
彼の激しい拒絶の声に、シエルはびくりとする。
「……逃げろ……、早く……!!」
だがそう言われても、彼女は高熱と恐怖のために立ち上がることすらままならない。

少年の赤い瞳には正気と狂気が混在していた。
無抵抗なシエルとは逆に、彼は必死で抗っている。……彼女に殺意を抱く、自分自身に。
だがその抵抗も空しく、少年は再度、彼女を手に掛けようとした。

動くことも声を上げることも出来ずに、シエルはただ、呆然としていることしかできなかった。

そしてレンカは、残った最後の正気を振り絞り、落ちていたナイフを振り上げると
自らの喉を切り裂いた。

―――自身の凶行から、少女を守るために。


そのしばらく後、どこからか数人の男達がやってきて、倒れている少年を連れて何処かへ去っていった。
そしてシエルも彼らによってどこか別の場所に移されたが、その辺りのことはよく覚えていない。

熱で頭が朦朧としていた上に、非常に現実離れした出来事だったので、どこか、夢の中で起こったことのようだった。
少年の血を浴びたシエルには、彼が生きているとは思えなかった。
彼がシエルを殺そうとした事、そして彼が死んでしまったかもしれないという事。
それらをどうしても信じたくないが為に、彼女はその日のことを、半ば記憶の底に封印していた。

再会したレンカは当然死んでなど居なかったし、最初に逢った頃の彼と何も変わっていなかった。
だから敢えて、思い出す必要もなかったのだ。
だが彼の首には生々しい傷跡が残っている。
あの悪夢は現実だったという事を、まざまざと思い知らされる。


自らの肩を抱きしめながら、シエルは自分に言い聞かせる。大丈夫だ、と。
大丈夫、今ここに居るのは紛れもないレンカだ。
あの時彼の身に何が起こっていたかなんて、分かるはずもないけれど。
だけど、彼は再び戻ってきた。彼女の前に。
だから、大丈夫。

その想いには何の根拠もない。だが彼女はそう思わずにはいられなかった。
そうしていないと、恐怖に押しつぶされてしまいそうだったから。

一度芽生えてしまった不安は、そうたやすくは消えはしなかったけれど―――。
白視点。掻っ攫いと過去の記憶編。
5へ続きます。
Copyright (C) 2020 kohituji. All Rights Reserved.