ベルドラ/吸血鬼 > 月夜の散歩 
-- Update :2007-10-21 --
現在 / クローディア
「………あ」

がちゃがちゃと乱暴に回していたドアノブが、不意に抵抗を無くしてポロリと外れる。
それ程力を込めていたつもりは無いのだが、古くなっていたのだろうか。
そういえば建物も随分年季が入っていたように思う。
客の夜の安全を商売としている宿屋にとって、このような状況は如何なものかとは思うが、彼女にとっては有難い事故だった。
苛立ちが募っていた胸の内も少し落ち着いてくる。

そっとドアを押してみると、難なく開いた。もう随分夜も更けているので廊下を行き来する人も居ない。
好奇心がむくむくと沸き起こってくる。この機を逃す手はない。
たまには彼女だって気晴らしとやらをやってみたい。
今日も気づけば居なくなっていた連ればかりがいい思いをしているのは、とても狡いと常日頃思っていた。

書置きをしていくかどうか少し迷いはしたが、結局やめておいた。
先に戻ればいいだけの話だし、今夜も空が白むまで戻ってこないかもしれない。
そう考えてしまったことで、相手に対しての憤りがぶり返してきたのだ。
たまには心配かけてやるのもいい薬だろう。



夜風が肌に心地いい。今夜は月も明るく、気分も上々。
元来夜の方が調子も良いのだが、今はいつもと違う経験をしているということもあり、高揚した気持ちになる。
そういえば夜の町を一人で歩くのは初めてかもしれない。
不安が全く無いわけではなかったが、それよりも興味と好奇心の方が圧倒的に勝っていた。

昼間通った道沿いの店はあらかた静まり返っている。
二階にある住居部分から、僅かに光が漏れているのみ。
最初のうちは新鮮さを感じてもいたがやがてつまらなくなり、別の方面へと足を向けることにした。

とことこと歩いているうちに、遅い時間にも拘らず人通りもあり明るい通りに辿り着く。
店の雰囲気もそれまでとは一変している。こういった所に来るのは初めてだった。
流石に道行く人々は大人ばかりだ。当然ながら子供などは居ない。
彼女自身は子供では無いが、大人と言うにもまだ幼い。
そんな娘が一人歩いているのは奇異に映るのだろうか、すれ違う人皆好奇の目で見てくる。

間もなく喉の渇きに気づく。ここらで一息つきたいところだが、生憎彼女には持ち合わせが無い。
そもそも一人で出歩くことは想定されていないため、売買のやりとりすらもよく分かっていなかった。
潤せないとなるとさらに渇きが増したような気がして、無意識に店の前で足が止まる。
中から漂ってくる料理の匂いに気をとられ、背後の人影には全く気づいていなかった。

「入らないの?」

不意に声をかけられぎょっとして振り向く。
あまり表情が出ない性質とはいえ流石に驚きは伝わったのだろう、声をかけてきた男は安全を示すかのように胸の前に手を上げた。

「ああごめんごめん、店の前でぼーっとしてたから気になって。ご飯食べに来たの?」
「……喉、渇いてただけだから」
「そうなんだ?でもこんな所に君一人?お連れさんとかは居ないのかな」

居ない、と答えると男の目が僅かに変化したような気がした。しかしそれが何を意味しているのか、彼女は気づかない。

「飲み物だけなら、もっといい店があるけど。一緒にどうだろう」
「でもあたし、お金持ってない」
「ああ、気にしないでそんなの。折角だからご馳走させて」
「ジュースとか、あるかな。野菜の…」
「えー?何、そんなのでいいのー?」

笑いながら手招きする男の顔は人懐こく邪気も感じられなかったため、警戒心は薄れる。
何より喉の渇きを癒せると思うと、彼女の足は自然と男の後を追い始めた。



目の前には男が無様に転がっている。
既に意識は手放した状態で、目覚めたところで自分が何をしていたかは思い出すことは無いだろう。
男が誘い込んだ先には店などは何も無く、ただの路地の暗がりだった。
どういうことかと尋ねようと振り返ったら襲い掛かってきたので、一撃を腹にお見舞いしたらあっさりと伸びてしまった。

「………不味い」

野菜ジュースにはありつけなかったので代わりに男の血を頂く。
喉は潤せたが、あまりに期待外れな味にがっかりしてしまった。
見ず知らずの人間の生き血を飲むのは随分と久しぶりだが、これほどまでに味気なかっただろうか?
普段飲んでいる血が甘美すぎるせいか。
きっとこの先もう、あの血以外を飲みたいとは思わないだろう。

喉はもう渇いていない。だが、彼の血がとても恋しくなってしまった。

「帰ろうかな……」

先に戻っていた場合のことを考えると少々気が滅入らないでもないが。
足元に転がっている男のことも、夜の妖しい雰囲気の町にも、もう興味は失われている。

あの月の下の男の血に、ただ恋焦がれていた。
宿においてけぼりにされてしまった時のとあるハプニング。
Copyright (C) 2020 kohituji. All Rights Reserved.