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-- Update :2008-06-16 --
現在 / ルーシュ、イオロイ、ハーディス
「へえ、今日は月食なんだってさ」
「やだ本当?せっかくいい天気なのに…なんだか不吉だわ」
テーブルについて椅子の上で足をぷらぷらさせているとそんな会話が聞こえてきて、ルーシュは声の方を見遣る。

会話の主たちはもう歩いて行ってしまったようで、それ以上は何も聞き取ることはできなかった。
それでも頑張って体を伸ばしていると頭の後ろが何かに当たり、顔をそちらに向けると聞き慣れた声が降ってきた。
「何やってるんだ、ひっくり返るぞ」
「あ、イオー」
逆さまになった視界に呆れたような表情の青年の顔が映る。よく見知ったその相手に、ルーシュはほぼ反射的に緩みきった笑みを返した。

昼時、雑多に人の行き交うテラス。
相棒であり保護者でもあるその青年―イオロイによって床に後頭部直撃を免れたルーシュは、同じテーブルについた彼から焼きあがったばかりの焼き菓子を受け取り、ほくほくと幸せそうにぱくついた。
「ねーイオ、ゲッショクって何?」
「月食? …ああ」
朝から街なかでもちらほらその話題は持ち上がっており、それが耳に入って来たという事は誰にでも容易に想像がつく。
「月が、欠けるんだ」
小難しい理論を述べたところで到底理解はできないだろう、そう考慮したからか否か子供にでも分かるような端的な説明だったが、ルーシュは微妙な顔になった。
意味が分からなかった訳ではない。
「…お月様、消えちゃうの…?」
ルーシュにとって月は特別な存在である、そのことを知っている相棒の青年は、情けない顔をしている子供の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「本当に消える訳じゃない。一時的に見えなくなるだけだ」
その言葉で納得できたのかどうかは不明だが、ルーシュはじっとイオロイの顔を見た後、にへらと表情を崩す。
事実とかなんとか、見た目よりもずっと子供なルーシュにはよく分からないものでしかないが、イオロイが大丈夫と言うなら何も心配することなどない。そんな根拠も何もない、けれど確たる思いが、そこにはあった。

「これ、おいしいねえ」
のんきな子供はもう目先のものに興味が移ったようで、口のまわりに食べかすなどつけつつ幸せそうに菓子をほおばる。

 *

日もそろそろ暮れかけた頃、ルーシュは素足のままぺたぺたと宿の廊下を歩いていた。頭に大きめのタオルを乗せて。
「よう坊主、風呂あがりかい」
既に知り合いになった宿の他の客が声をかけてくる。
「そうなの。ホカホカよー」
頬を赤く上気させて、今にも湯気の立ってきそうな子供を見て、宿客はわしゃわしゃとその濡れた髪を乱暴に撫で回した。
「ちゃんと乾かしとけよ、風邪引いちまうぞー」
「もー、髪がみだれちゃうー」
口をとがらしつつそれでもタオルでごしごし髪を拭きながら、ルーシュは手を振って男と別れた。

部屋に戻る手前の角に、少し小さめの窓がある。
ルーシュの視点からはちょうど月がまるで切り取られた絵のように、綺麗に現れた。
今夜は満月。
いつものようにその丸い夜空の光をうっとりと眺めていると、ふと昼間の話題が甦る。
(…ほんとにお月様、消えちゃうのかな)
気付けばもう廊下には誰も居らず、ルーシュは唐突にその静けさと暗がりを意識してしまった。

足早に部屋に戻り、寝台に腰掛けてなにやら手作業しているイオロイに突撃をかける。
「…なんだ、また風呂場ですっ転びでもしたのか?」
小さな相棒の唐突な行動はいつものことで、イオロイは体勢をかろうじて保ちつつ尋ねた。
「…ねーイオ、今日となりで寝ても、いい?」
眉を垂れさせ情けない顔で見上げてくるルーシュの行動にも合点がいったようで、彼はちらりと窓の外に目をやり、軽く溜め息をつく。
「まったく、いつまでたってもガキみたいに」
言葉の内容とは裏腹にその口調に温かさを感じたルーシュは、ほっと安心したようにいつものゆるい笑顔を見せた。

 *

深夜、喉の渇きを感じてルーシュは目が覚めた。
寝ぼけまなこを擦りつつ、むくりと起き上がる。
「おみず……」
半分覚醒しないまま本能で寝台から降り、水を求めて部屋を出た。

ぺたぺたと廊下を歩み、足元に落ちた月明かりに気付く。
何気なく顔を上げて視界に飛び込んできたのは、雲一つ無い夜空、不気味な程に大きな満月。
そしてそれが光を蝕に奪われ始める、その瞬間だった。

隣で安らかに眠りこけていた子供が起き上がった時、イオロイもまた目覚めていた。
ルーシュが夜中に目を覚まし水分を求めたりトイレに立ったりするのは珍しくもなかったが、昼間のやりとりを思い出し胸騒ぎを覚える。
部屋から出てみればすぐにルーシュの姿が見え安堵するが、どこか様子がおかしいことに気付く。
「ルー?」
いつもなら声をかけるだけで過剰な程に返ってくるのに、何も反応がない。
窓の外を見上げた姿勢のまま動かない。
足早に傍に寄り肩に手をかけると、小さな身体はバランスを崩しぐらりと傾いた。

意識は無い。呼吸すらしていない。
イオロイがどれだけ呼びかけても揺すろうとも、ルーシュが反応を返すことは無かった。
月食の日に事件だよ大変だ!
続きます。
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